約10年ぶりに日本に来たのが、2000年5月。2007年に当時の最大手スクールNOVAが倒産する前までは「出る杭は打たれる」日本文化の土壌で大変苦しむことになる。
察するに、他のグループレッスン中心の中小大手の英会話スクールや、日本人スタッフと多少の軋轢が生じたのである。まさに、「出る杭は打たれる」だったのだ。そして、組織は多数派の日本人女性カウンセラーの理論で動く。
Atlasマンツーマン英会話に関する限り、すべて自分がやってきたという自負があった。マーケティング調査、ホームページ作成、インストラクターの採用、教室の運営などまで…。売り上げも伸び、利益も十分に出ていた。
そのあたりに関しても、ヨネナガ氏は多くを語らない。重い口ぶりの端々から推測できるのは、もちろんあくまでも勝手な憶測の域を超えないのだが、Atlasマンツーマン英会話の運営理念に大きな違和感を抱くようになったのではないかということだ。
英会話スクールに命をかけてきたヨネナガ氏は、その違和感は抑えきれるものではなかったようだ。「予約システムを80%、アナログなシステムを20%入れたい」など。その都度、日本人女性カウンセラーから「なぜ?」「正直無理だ」と説明を求められる。
ヨネナガ氏はほほ笑むが、社長という立場であるヨネナガ氏でも、経営をしたことがない現場だけのスタッフに相容れないことがあったのは当然だったというべきであろう。
2011年3月11日には東日本大震災が起こり、地震と大津波により生徒とインストラクターにも亡くなった方が多数いたことで、仙台ランゲージスペースは廃校に追い込まれた。それを機に、日本人女性カウンセラーの3割が自己退職し、順風だけが吹いていたわけではなかった。だが、ヨネナガ氏はまた新たな勝負ができるのではないかと、すぐに気持ちを切り替え、名実ともに自らが最高責任者として「Webマーケティング事業部」を構えた。そこにはシステムエンジニア、Webデザイナー、マーケッター、動画編集・音楽ディレクターを採用。新しい展開のスクールをスタートしたのである。
>>歩みだしてみたものの、波乱続きの日々で苦しむ
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